旧市街の中には教会が沢山あります。
旧市街のお土産屋さん街の上に登れるところがあり、そこから教会の鐘がなるのが良く見えたのですが
帰りに見ごとに迷いました。プライベートの道に入っちゃったり、神学校の近くまで行っちゃって迷ってたら
ユダヤ教の神学校の生徒(超正統派になる人達)に道を教えてもらいました。普通にやさしい人達でした。
バスに乗った時にも神学校の生徒らしき男の子が数人乗っていましたが、簡単に言うとアホで
やはりどこの国でも男子高校生は一緒だなと思いました。
細い道の両側にお土産屋さんが並んでいます。このパン買いましたが、美味しくなかった。
うーん、美味しそうに見えたんだけどな。7ILS(200円)。
城壁の外は城壁に沿って公園のようになっていました。
旧市街の中は一部を除いて車が入れないので、駐車場から荷物を運ぶ人達。
後ろに鎖で小さなタイヤが結んであって、それに乗ることでブレーキを掛けていました。
小さい子供もいました。
城壁の外を回って、新門へ。旧市街の門の中で一番新しいもんです。
といっても、オスマン朝末期にできた門ですが。
第三次中東戦争まではヨルダンとイスラエルの国境があったそうです。
新門を入ってすぐに学校がありました。
看板にはカレッジとありましたが、小学校から全部そろっている感じでした。
この辺りはキリスト教地区なのですが、アルメニアアートのお店がありました。
ヤッフォ門。普通はこの門から入って観光するらしいです。
門の横が道路になっていて、城壁が途切れているので
あまり門という感じではありませんでした。
門のすぐそばには観光案内所があり、観光客が沢山いました。右はイスラエルの救急車。
ダビデの塔です。今は歴史博物館になっています。もう疲れていたので、中には入りませんでした。
エルサレム観光は一日じゃ結構キツイです。
オリーブ山(キリストの復活関係の聖地)の方には行けませんでした。
もう一日あったほうが良かったかも。
ヤッフォ門から延びるヤッフォ通り近くに、マミラ・モールというオシャレなモールがありました。
ブランドショップが中心で、芸術的な彫像がたくさんあったりしました。
AHAVAというショップは死海の泥や塩から作った製品で有名らしいです。
ショーウインドーにあるのは塩の結晶でできたマネキン。
AHAVAの製品は日本では販売されていないそうです。
セグウェイで旧市街を回る(外だけかも?)ツアーがあるようです。
右の建物はショッピングセンターだったようですが、今は廃墟になっていました。
旧市街の角で立地もよさそうなのに。
エルサレム合同庁舎。ライオンの紋章とライオンの像がありました。色使いが斬新
絵葉書を出したかったので、中央郵便局へ。
番号札を取って待つ方式なのですが、なんと90人以上が待っていました。
一人一人に凄い時間が掛かるし、そもそも窓口が全然あいてないしで、
いつ順番になるかわからないのであきらめました。
うーん、イスラエルってもっと近代的な国っていうイメージだったんだけどな~。
左のマクドナルドはコシャーという、ユダヤ教の戒律を守った商品を提供しているので
Kosherと書いてあり、マークの背景が青くなっています。
例えば乳製品と肉を一緒に食べてはいけないので、チーズバーガーはダメとか。
右のは普通のマクドナルドで、マークの背景は赤です。
新市街のベン・イェフェダー通りです。ここもお店が並んでいて結構活気があるところでした。
左の建物はショッピングセンターらしいのですが、すごく入り辛い構造だったの入らず。
右はキッパというユダヤ教徒が頭に付ける小さな皿状の帽子を売っている店です。
シナゴーク等ユダヤ教の聖地に入るときに男性が付けるものです。
ユダヤ教徒の男性は普段も付けています。
適当な写真がないのですが、イスラエルの看板などの
表示はヘブライ語・アラビア語・英語の他に
なぜかロシア語が書いてあることが多かったです。
ロシア人観光客がそんなに多いのかと
思っていましたが、調べてみたところ
旧ソ連崩壊後ロシアから移住した人が
多いそうです。イスラエル人口の1割以上を占め、
イスラエルに溶け込まず独自の生活様式で
生活しているそうです。
そのため、安息日でもロシア系の店は開いてるし、
ユダヤ教で禁止されている食べ物もスーパーで
売られているしで安息日やコシェル(食事制限)が以前ほど厳しく守られなくなっているとか。
最近はそのロシア人も他国に再移住することが多いらしいので、これからはどうなのかわかりませんが。
コメント