kovaci通りの坂を下って旧市街へ。
この坂のところに銅板をたたいて模様をつける工芸品のお店がたくさんありました。
小学校の図工でやったなぁ。強く打ち過ぎると穴が開くんだよね。
結構いい細工だったので買いたかったんだけど、
後約二か月持って歩くうちに曲がりそうなのであきらめました。
橋を渡って、旧市街側を撮りました。これは国会図書館です。
小学生の社会科見学?で沢山の子供が中に入っていました。
内戦の砲撃で外壁を残して燃えてしまったそうです。現在は再建中とか。
西に行くとあるこの橋はとても有名な橋です。名前はラテン橋。
橋のたもとには何やらアクリル板の記念碑が。
橋のたもとには博物館があり、その前に何やら看板が。
この場所が、サラエヴォ事件の舞台になったところです。
サラエヴォ事件:オーストリアの皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなった。
実際に暗殺(狙撃)されたのは博物館前ですが、
その近くにあるこの橋の方が有名だと思います。世界史でやったなぁ。
橋のたもとにあった、アクリルの記念碑はここに記念塔があったことを示していたんですね。
紛争で壊れてしまったのかな?
サラエヴォ冬季オリンピックが開催された1984年の7年後の1991年に、
旧ユーゴスラビア紛争が勃発しました。
ここサラエヴォは激戦地となり、三年にわたってセルビア軍に包囲されていたそうです。
建物にはその時の砲弾の跡がくっきり残っています。写真をクリックして拡大するとわかりますが、
壁の色が違うところは汚れではなく、砲弾の跡を埋めたところです。
今でもセルビア人地区とボスニア人地区がくっきり分かれており、
セルビア行きのバスターミナルは遠く離れたところにあるなど
見えない民族対立は続いています。
ドブロヴニクでポストカードを投函できなかったので
ここから出しました。
日本までの値段は一枚1.7BAM(119円)。
約10日で到着しました。
南米からより断然早かったです。
旧市街のバシチャルシャと呼ばれるところです。かなりトルコ風だと思います。
市場に行ってみました。青空市場と屋内市場に分かれていますが、
屋根があるかぐらいの違いしか判りませんでした。
ミカンを購入。1kgで1.5BAM(105円)でしたが、酸っぱかった~
右の写真の人が手に掛けているのは、ハーブなどに紐を通して輪っかにしたものでした。
燃えているのはサラエボオリンピックのときの聖火です。サラエボの平和を祈って燃え続けているそうです。
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