ニュースサイトを見ていたらこんな記事が。
シプカ峠の戦いから137年を記念する行事があったらしい。
残念ながら行事の写真はなかったけど。
1877年から1878年までの露土戦争において、シプカ峠の戦いは4回あり、
シプカの町は壊滅状態になったらしいです。
この露土戦争後に結ばれたサン・ステファノ条約によって、セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの各公国は
オスマン帝国から独立し、広大な自治領「大ブルガリア公国」の成立が定められたという
ブルガリアにとってとても重要な戦いだったそうです。
この戦争で亡くなったロシア兵の慰霊のため、シプカ僧院が建てられました。
記事によると、8月21日から26日のシプカ峠の戦い(第二次)の記念行事だったらしい。
知らなかった。知ってたら行ったのかは疑問だけど。。。
とおもってたら、シプカの売店に張り紙があった。
ちゃんと見てなかったから気が付かなかった。
ブルガリア語だから、気が付いても理解できたかは疑問だけど。
日付だけはわかる。8/23の8:45から行事があったのね。
なるほど。こういうところに情報があるのね。
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